池沼ブログ

性への目覚めはいつからかと問われれば、間違いなく小学生の頃だと答えるだろう。

 

俺は幼稚園から小学校四年生まで、とある水泳教室に通っていた。その水泳教室は厳しいと巷では有名で、当時から根性も甲斐性も無かった俺がどうしてそんな環境から逃げ出すこと無く生きていくことが出来たのか些か疑問に感じる人もいるかもしれないが、それは後ほどお話するとしよう。ここへは友人の親御さんからお誘いを受け通い始めたのだが、所謂温室育ちだった俺は人生初のスパルタ指導に衝撃を受け、今でも授業の記憶は鮮明に残っている。まず圧倒されたのが、準備体操の掛け声。これがもう体育会系で、「イイイイッ!!!イーーーー!!!ウウァァァン!!!!!ィィィイーーーー!!!!(多分準備運動する時のいち、にー、さん、しー、と言っているのだと思われる)」と野獣の咆哮の如く叫んでいたし、準備運動は小学生クラスと幼稚園生クラス合同でやるのだが、6年生の兄ちゃんなんかはもう身体がリアルヒクソン・グレイシーだった。

 

 

回想はここまで。さて、俺が何故軍隊宛らの様な厳しい環境で過ごしていく事が出来たのか、ここいらで種明かしをしよう。毎回授業が終わると、コーチがこう言う、「君たちの身体は冷えてるので!!サウナとかジャグジーで充分に温まってから帰るようにして下さイイイイッ!!!」。 声量がもはや絶叫に等しいそれは『風邪ひかれたら困るから身体は温めとけ』って意味なんだと解釈してた。少々話が逸れたが俺の目的はこの時間にあった、いや、決してサウナとかジャグジーに入ってとかそういう話をしているのではない。それは半分正解で半分不正解だ。

コーチがそう告げると、ガキ共が一斉にサウナ、ジャグジーに駆け込む。俺は目的を達成するべく是が非でもジャグジーを取る為、解散の合図が出される前からジャグジーの良いポジションを取るために1ミリでも近い位置での場所取り、ややフライング気味のスタートダッシュをしていた。ここまで執念を燃やすのは、この「ジャグジー」を無しに目的を達成する事は不可能だからだ。無事ジャグジーのお望みの場所を陣取れた俺は早速『儀式』にかかる。内容は簡単で、ジャグジーの噴出口に己のチンコを密着させるだけ。もうお分かりであろう、俺の目的は『チンボゴ(当時俺はそう呼んでいた)』であった。名前の由来は単純で、チンコの‴チン‴に「ボゴっと」勢いよく噴出される水から『チンボゴ』。そしてこれこそが『種』である。水が勢いよく噴出している所にチンコを近づけると無性に気持ちがいいことに齢9の時点で俺は気付いていたのである。最早天才という他ない。早い話、オナニーである。ティーンエイジャーのティーンエイジャーによるティーンエイジャーのための娯楽の原型がこの時俺には既に存在していたのだ。週一で味わえる、至高の一時。それは過酷な練習を耐えるだけの動機を与えた。飴と鞭、チンボコと練習、俺だけが知っている快感に当時小学3年生の俺は独り勝手に戦いた。

涎を垂らして1人ジャグジーの椅子に反対向きになり恍惚の表情を浮かべながら半身浴の体制をとる俺、その姿は傍から見れば紛れもなくキチガイだった。

 

 

そんな中、ある日事件が起こった。門外不出の‴秘伝の書‴が外部の人間に漏れたのである。俺しか知らないはずの奥義が他人に渡ったのだ。恐らく、毎回授業が終わると一目散でジャグジーへと足早に向かう俺を見て誰かが訝しんだのだろう。俺がいつものようにジャグジーに向かおうとすると俺の横を物凄い速さで駆け抜け、ジャグジー飛び込み、噴出口にチンコを密着させるあの独特のポーズを早々と取り始める同じクラスの奴の姿がそこにあったのだ。いや、冷静に考えてね、小学生の男女がジャグジーに浸かってる中一人だけジャグジーの外を向いてヨダレ垂らして半身浴をしてるんですよ、どう考えたって不自然じゃないですか、どう考えても「知ってる」側の人間じゃないとできない所業じゃないですか、そりゃその道の‴開祖‴の私にはお見通しですよ(因みに、この時の俺はチンボコの最大の弱点である「周りの人間に同化してかつ違和感を失くす」為の対策を考案しており、横を向きながらさりげなくチンコのみを噴出口に当てる高等テクニックを会得していた。あの姿勢を取るやつは間違いなく‴初心者‴だと。一目瞭然だった。)、もう目の当たりにした瞬間「あ、こりゃバレたな」と確信しましたよ、名刀の技法がバレた時の鍛治職人の顔ですよ、死、死な訳ですよ、死活問題、そりゃチンボコだけをモチベに過酷な授業受けてる訳ですから、もう娯楽の一つや二つないとやってらんない訳ですね、そんな娯楽が庶民に知れ渡ったらどうなるか、その先あるのは

 

 

 

戦争

 

 

 

快楽を享受しようとする男達の熾烈な争奪戦。もうジャグジーには幼く可愛い女子が集う楽園的な色彩はなくなり、飢えた獣の目をした男達がバチバチのサバイバルバトルを繰り広げる戦場へと化していった。一度蜜を知ってしまった人間というのはとても強欲になり、それ渇望するあまり理性を失ってしまう醜い生物へと変化を遂げる。私利私欲の為に行動するエゴイストへと変貌した俺達には、交代制なんて平和主義的な考えはなかった。毎度ジャグジーで繰り広げられるそれは正しく海戦。しかしそんな最中でも毎回陣地を勝ち取っていた将軍クラスの人間が3人いた。それが俺、最初に気付いた奴、そいつの友達、この3人。俺は当時から狡賢く、後でアイス奢るから(正確にはお迎えに来る母に奢らせる)と敵を買収し優雅に戦場を俯瞰したりしていた。あとの2人は小学校低学年ながらなかなかのガタイで、そのフィジカルを活かして変態集団を蹂躙していた。

 

 

数カ月が経った頃、黒船が訪れた。いや、南下政策の陰か。兎に角強力な敵が現れた。ロシア人3人兄弟の来襲である。体格が一回りも大きい外国人が入り、剰えチンボコ戦争に参入してくる事態まで想定していたものの、実際は我々の想定を遥か上を行くものだった。我々モンゴロイドフィジカルで圧倒されたのだ、言葉が通じない上に堂々とフライングを決め、良い場所を陣取り、騒ぐ外国人。幸いなことにチンボコそのものの概念はロシア人の知る範疇にはなかったようだが、ガキからしてみれば「ジャグジーの噴出口」なんて代物は興味の的だったのであろう、それから奴らは積極的にチンボゴスポットを陣取り始めた。残された道はひとつしかなかった。なるほど、戦争ってのはこうやって起こるのか、世界平和なんて無理なわけだと幼くして真理に辿り着き、また人間の本質を知った。

 

 

 

かくして、決戦の日は訪れた。いや、別に決戦と銘打つほどの諍いや格闘があった訳でもない。存在したのはいつもの変態集団とロシア人と精鋭3人の三つ巴のジャグジーの争奪戦である。いつも通りコーチが叫ぶ。「君たちの身体は冷えてるので!!サウナとかジャグジーで充分に温まってから帰るようにして下さイイイイッ!!!」こいつは本当に馬鹿だ。叫ぶ事しか脳のない脳筋野郎を尻目にロシア人が歩き始める。普段我々が此奴の言うことを遮って移動を始めるとブチ切れる癖にロシア人が移動を開始しても何も言わないクソ指導員、言葉の壁を感じされる。我々も柱の影に身を潜め隠密にジャグジーへ向かう。その刹那、ロシア人が我々の存在に気付く。馬鹿が、お前らと俺らじゃ賭ける想いってもんが違うんだよ、俺たちは命を賭けてんねん、あの時の俺は正にアクティウムの海戦のローマ兵であった。徹底した戦略、────結論から言えば我々は勝利した。ロシア人及び有象無象の変態集団は敗戦の民となった。

 

 

以降、ロシア人はサウナに行くようになった。変態共も嘗ての勢力を失った。再びパクス・オナ(ロマ)ーナは訪れた。新しい平和は以前よりも理想的なチンボコ環境であった。ジャグジーには昔のように幼く可愛い女児が集い、楽園へと戻った。だが楽園が終わりを告げるエックスデーが訪れる前に俺は水泳教室を辞めてしまった。

 

 

 

ある日、俺はチンコを弄っていた。俗に言うオナニーだ。快感は絶頂に達し、身に覚えのある快感が全身をよぎる。俺は、俺はこの感覚を知っている。これはあの水泳教室で本能的に覚えた、誰かに教わった訳でもなく自力で発見した俺だけの文明だ。   「そうか、これだったのか」   と私はこう一人呟いたのを覚えている。